占い
04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

「聖人のなされた通りに」蓮如上人は親鸞学徒の鑑

2010年11月08日
「蓮如上人へ、ある人、申され候う。開山の御時のこと申され候う。

「これは、いかようの子細にて候う」と、申されければ、仰せられ

 候う。「我も知らぬことなり。何事も何事も、知らぬことをも、

 開山のめされ候うように、御沙汰候う」と、仰せられ候」

                 (蓮如上人御一代記聞書)

今回の報恩講で教えていただきました。

 親鸞聖人がこんなことをなされたと聞いておりますが、それは

なぜでしょうか、と蓮如上人に尋ねた人がありました。

 蓮如上人は、答えておられます。

「私にも分からぬ。しかし、何事も、たとえ理由は分からぬこと

でも、親鸞聖人のなされた通りに、しようじゃないか。この蓮如

も、そうする」

 いかに深く、親鸞聖人を信じておられたかが分かります。

 この世のことでもそうですね。

「理由が納得できねば、やらないぞ」と言っているのは、あまり

相手を信じていない、という表われです。

 医師の処方に対して、「なぜ、そんな薬を飲まねばならぬのか。

理由が分からねば、飲まんぞ」とは言いません。医師を信じて

いればこそ、その処方の通りに、薬を飲むではありませんか。

 まして世界の光と仰がれる、親鸞聖人の仰せに対して、

「理由が納得できなければ、したがえない」

と言っているようなことでは・・・。

 親鸞学徒の私達は、蓮如上人のお言葉を、よくよく胸に刻み、

実行したいと思います。

「我も知らぬことなり。何事も何事も、知らぬことをも、

 開山のめされ候うように、御沙汰候」
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

海外の親鸞学徒も 報恩講準備に 汗を流されました

2010年11月04日
4日には、親鸞会館で、親鸞聖人報恩講の準備・大掃除でした。

二千畳のたたみ拭き、廊下や階段の掃除など、みんなで汗を流しました。

そんな中に、地球の反対側、ブラジルから参詣された、親鸞学徒の姿が

ありました。いす拭きや、掃除機がけに、一生懸命でした。

飛行機で、30時間もかけて、どんなにこそ疲れておられるでしょう。

しかも時差は12時間ですから、夜と昼とが、正反対。日本では、

朝の10時でも、ブラジルなら夜の10時にあたります。そんな

大変な中を、しかし、「少しでも、お手伝いさせて頂きたいから」と

休む間もなく、掃除に頑張っておられました。

最も遠い海外からの親鸞学徒が、前々日から集まって会館の掃除や

準備をしているのに、日本の、おひざもとの私たちが、報恩講当日の

朝にしか会館に集まらない、というようなことで、よいのだろうか?

 海外の学徒のすがたから、深く反省させられたご縁でした。
未分類 | コメント(0)

猛暑のあとほど美しい紅葉

2010年11月01日
今年の夏は、暑かったですね。

真夏日、猛暑日が続きました。

しかし、木々の紅葉は、その気温差によって、美しさを増すそうです。

今年は、秋らしい秋はなく、急に冬が来たような、寒さです。

あの猛暑から、この寒さ。

この急激な気温差が、山々の紅葉を、より美しくしますよ、と

ラジオで専門家が言っていました。

ちょうど、春の桜が咲く時も、一度、グッと冷え込んで、

その後、あったかくなると、パーッと花開くそうです。

そう考えると、やっかいな「気温差」も、また大切なものだなと

知らされます。
未分類 | コメント(0) | トラックバック(0)

縁は同じでも因が異なれば  〜奄美の豪雨被害に思う〜

2010年10月26日
縁はあっても、一人一人の業因が違えば、結果も異なると、

いつも聞かせて頂いております。

昨日、法友のN・Kさんから聞いた話です。

----先の奄美の豪雨被害で、ある老人ホームに入居していた方たちは、

室内に流れ込んだ濁流を避けようと、カーテンレールにつかまったそうです。

ところが、部分的にレールが壊れていたところがあり、外れてしまいました。

そのため、二人の女性が流されて、亡くなられたのでした------。

同じ日に、同じ部屋に居て、同じくカーテンレールにつかまりながら、

助かる人もあれば、流されて命を落とす人もある。

縁は同じでも、各自の因が違うと、結果が大きく異なるのですね。

ちょうど、覚如上人の「死の縁無量なり」のお言葉を聞かせて頂いた

あとだったので、余計に身にしみて、知らされました。
未分類 | コメント(10) | トラックバック(0)

よもやよもやで日を送り  〜岐阜の倒壊事故に想う〜

2010年10月17日
   「呼吸のあいだ

      すなわちこれ来生なり」(親鸞聖人)

 吸った息が吐けなかったら、もう後生です。

 一息一息が、後生とふれあっています。

 岐阜市の解体工事現場で、突然倒れてきた壁の下敷きになって、

17歳の女子高校生が、亡くなられました。

「解体工事している近くを通るのは、危険なのに、なぜ近づいたのか」

と言う意見もあるでしょう。

 しかし、私達にも、危ないといわれていても、

「まさか、そんなことはなかろう」

「めったなことはあるまい」

と、思う心はないでしょうか。そして、少々、危ないと分かっていても、

やってしまうことがあります。

 だから、同じような事故にあって、いつ後生へ出かけねばならないか、

すべての人にとって、これは、等しく起き得る問題なのです。

 『信心数え歌』にもありますね。

「二つとせ、不定の命を持ちながら、よもやよもやで日を送り

 今宵も知れぬ命とは ほんに今まで知らなんだ」

 刻々と迫る無常を念じ、一日も早く、弥陀の本願、聞き抜かせて

いただきたいと思います。
未分類 | コメント(5)
忍者アド
 | HOME | Next »